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福沢諭吉は、日本で一番愛されている人物なのかも知れません。
1万円札に描かれている人物であり、多くの人が大好きなはずです。
福沢諭吉が好きと言うよりは、お金が好きだと言うだけかも知れませんが・・・。
個人的には、福沢諭吉という名前は、実情が分からない人でも知っているかと感じています。
さらに、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」とも言っていて、平等を主張した人でもあります。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉から、ガンジーやネルソンマンデラ、マザーテレサなどの聖人と呼ばれる人を想像するのかも知れません。
しかし、実際の福沢諭吉は全ての人が平等だと言ってるだけではなく、「こういう輩が愚民だ」という例も挙げているわけです。
さらに、福沢諭吉も外見レベルを上げて、コミュニケーション技術を上げろと、当サイトで主張している事と同じことを言っています。
今回は、福沢諭吉の「学問のすすめ」を読み解いていきたいと思います。
尚、福沢諭吉は江戸時代に生まれて、幕末を乗り切り、慶應義塾を創設した人物でもあります。
戊辰戦争のさなかも、慶應義塾において講義をしていたなどの逸話もある人です。
学問のすすめの中では、身分にこだわる奴はダサいような事も何度か発言しています。
目次
外見弱者は愚民になりやすい?
福沢諭吉先生は、江戸時代の階級社会と戦った人でもあります。
そのため、「学問のすすめ」では、どの様にすれば自立した人間になれるのかを説いているわけです。
自立していない人間は、福沢諭吉先生は「愚民」とバッサリと斬り捨てている人でもあります。
福沢諭吉先生の愚民の定義は、一言でいうと下記の様になっています。
無気力なバカ
無気力なバカは何をやっても無駄であるから、「威圧して押さえつけるしかない」と説いているわけです。
愚民の状態になってしまったら、終りだと言っていますし、愚民の状態になってはダメだと福沢諭吉先生は「学問のすすめ」の中で何度も言っているわけです。
今の世の中で見てみると、外見弱者はとにかく周りから、攻撃されてしまい思考回路が麻痺している「無気力なバカ」になっている場合が多いような気がします。
かという自分も、かつては「無気力なバカ」でした。
私は周りの人に振り回され続けて、自分で意見を持ち考えるのではなく、他人の顔色ばかり気にしていたわけです。
この状態は、明らかに福沢諭吉先生がいう「無気力なバカ」状態だったのでしょう。
この無気力なバカにならない為に、福沢諭吉先生は学問が大事だと言っています。
さらに、さっさと自立して次のステップに行けと言っているわけです。
福沢諭吉先生は、経済的、精神的に自立した人間になって、ようやくスタートラインに立ったと考えています。
一人前になったら、次は国の為に役立つ事をしろと、学問のすすめには書かれていました。
ただし、国の為と言うのは、時代背景を考える必要があるでしょう。
外見弱者が自立した人間になろうとしても・・・
外見弱者のブサイクの場合ですが、自立しようとしても、かなり難しい状態と言えます。
福沢諭吉先生が生きた時代は、現在と違い未婚率も低く、恋愛や結婚は今ほど難しくありませんでした。
親同士の縁談などもありましたし、お見合いなども盛んだったのでしょう。
それに対して、現在では結婚しようとしても外見弱者のままでは、一人の女性と付き合うのも難しいわけです。
さらに、外見弱者の場合は、美男美女に比べて給料も低く抑えられたり、昇給が無かったりする時代になっています。
日本ではイケメンとブサイクでは、生涯年収において5000万を超える違いが出ているというデータまであるほどです。
ブサイクはイケメンに比べると、外見が悪いだけで家を一軒燃やされている事にもなります。
外見弱者は頑張って出会いを増やしても、恋愛では異性と付き合う事が出来ない場合も少なくありません。
現代と福沢諭吉先生が生きた時代では、外見による収入格差や恋愛格差が信じられない程に離れてしまったわけです。
仕事も恋愛も上手く行かない事が多い事から、現代の外見弱者は福沢諭吉先生がいう「無気力な愚民」になってしまう事が多いと言えます。
自立の道が達成する前に、力尽きてしまうわけです。
しかし、福沢諭吉先生は、学問のすすめの中で、外見についても簡単ではありますが、述べられています。
関連記事:イケメンとブサイクでは生涯年収で5000万の差が付く事実!
福沢諭吉先生も外見を向上させろと説いていた!
福沢諭吉先生は、支配関係を嫌った人でもあります。
福沢諭吉先生が生きた時代は、幕末から明治の後半まで生きているわけです。
青年時代は江戸幕府がまだあり蘭学や英語を学んでいますが、武士の中でも上下がある階級社会に苦しめられた部分もあります。
身分制度に苦しんだわけです。
欧米の平等という思想を学べば、日本はもっとよくなると考えたのでしょう。
つまり、福沢諭吉先生は身分制度と戦ったわけです。
現在は、身分格差は当時ほどはありませんが、代わりに外見格差が躊躇にある世の中になっています。
福沢諭吉先生は、「学問のすすめ」の中で、交渉術を説いているわけです。
福沢諭吉先生が、大事だと言っているのは下記の二点です
・コミュニケーションスキルを上げろ!
・外見を磨け!
当時から現代の、自己啓発のような事を言っているわけです。
現在の自己啓発書などでは、外見を磨くについてはサラッとしか書かれていない場合が多いです。
せいぜい「清潔感がある格好をしましょう」と書いてあるだけでしょう。
しかし、福沢諭吉先生は、経済的や精神的に自立するために、「外見を整えろ」と言っているのは、興味深いと言えます。
福沢諭吉先生の外見を磨け!とコミュニケーション技術を上げろ!については批判的な人もいた。
福沢諭吉先生の著書である「学問のすすめ」の中には、先の「外見を磨け」と「コミュニケーション技術を上げろ」に関しては、否定的な事をいう人がいる事を意識したのか、次のような事が書かれています。
要約すると下記のような事です。
外見を磨けやコミュニケーション技術を上げろと言っても、そういうのは才能だから無理だと言う人がいる
しかし、人間というのは学問を身に着ける事で、顔の表情も変わってくるし、コミュニケーション技術も向上する
この様に言っているわけです。
つまり、理由をつけてコミュニケーション技術の向上と、外見レベルを上げる事を諦めてしまったら、終りだと言っています。
いつまで経っても、今の状態から自立する事は出来ないと言いたかったのでしょう。
尚、コミュニケーションに関しては、福沢諭吉先生は「学問のすすめ」の中では、「自分が思っている事を相手に伝わるようにする事が大事」と述べています。
言いたいことは分かりますが、外見やコミュニケーションについては、かなり抽象的だとも言えます。
学問のすすめが、コミュニケーション技術や外見を上げる技術を教えるのではなく、学問を学ぶ事の意味を説いている書なので、仕方がない部分でもあるのでしょう。
まずは外見を上げましょう
福沢諭吉先生の時代は、美容の技術が発達していなかった時代です。
そのため「学問のすすめ」の中でも、「顔色容貌を快くして」という言葉がありますが、表情や身だしなみに気を付けろ!位のことしか言えなかったのでしょう。
しかし、これだと限界はかなり低く、現代では外見弱者はとても美男美女には、太刀打ちは出来ないはずです。
現代であれば美容技術は大幅に進化しています。
そのため、青髭が気になるのであれば脱毛する、肌が痛んでキレイニ見えないのなら、化粧水で潤いを保つようにする。
肌がボコボコしているのであれば、美容クリームを使うなど、とにかく外見のレベルを上げる事が大事です。
もちろん、太っていればダイエットする事も大事ですし、身だしなみにも気を付けなければいけません。
コミュニケーション技術に関してですが、外見が悪いと相手が舐めて来たり、相手にしてくれないため、そもそも意味がありません。
コミュニケーション技術よりも、外見の方が先に無くてはいけないわけです。
福沢諭吉先生が言っている事は、現代でも当てはまりますが、時代に合わせてやり方は変えて行く必要があるでしょう。
明治時代と現在では、技術に関しては大きく違いがあるわけです。
明治時代では、学問を学んで目つきや顔の表情を変える事しか出来ませんでした。
しかし、それだと難易度は高いですが、現在では美容技術の進化により、美形になるのが昔に比べて、かなり楽になっています。
関連記事:ブサイクが幸せになれない理由
自立出来たら
福沢諭吉先生は、「学問のすすめ」の中で、自立したら国家の為に役立つ事をしろと述べています。
それを考えれば、いつまでも外見向上やコミュニケーションの勉強は、いつかは切り上げてしまわなければならないでしょう。
目標はクラスでトップの可愛さを持つ女性と付き合うでも、女性と100人肉体関係を持つでも、会社で出世するでも、なんでも構いませんが、見た目向上や会話術の上達は、実際のところ切りがないわけです。
さらに、人間は老化しますから、美容に関しても下りのエスカレーターを昇っているような部分があります。
年齢と共にエスカレーターのスピードは速くなりますので、外見とコミュニケーション能力を身に着けて、恋愛と仕事が上手く行くようになったら、自立と考えても良いのかも知れません。
自立した後は、福沢諭吉先生は「お国の為」と説いています。
しかし、現在の世の中ですと、明治の初期と違い「お国の為」と言うのは、どうしてもイメージが付かないはずです。
国が総力を挙げて国難に立ち向かうとか、そういう雰囲気の時代ではないからです。
それ故に平和ボケした人が多いとか、そう言う風に言われてしまう事もあります。
私が思うに、今の時代に福沢諭吉先生がいたとしたら、「自分の夢を追及しろ」と言うのではないか?と想像しています。
そして、「人々が役立つ事をすればよい」と考えるのではないでしょうか?
あなたの生きて来た知識が役立つのであれば、それを人に教えてみたり、自分なりのスキルを昇華させて役に立つ人間になれ!と言うような気がするんです。
自分が納得が出来る異性の恋人が出来て、いい友達に囲まれて、収入も安定したのであれば、社会に役立つ事をするのが大事かなと思います。
自分の本当のやりたい事は何か?と考えてみるのも良いのではないかと考えています。
自分はまだ、そのレベルに到達していないので、何とも言えませんが、さらに上を目指してやっていきたいと思います。
尚、福沢諭吉先生の「学問のすすめ」の原文は、青空文庫から出版されています。
楽天やアマゾンでも購入が可能なので、興味がある人は読んでみてください。
今回のコミュニケーションや外見については、一番最後の17編に書かれています。
最後に書くと言う事は、「学問のすすめ」で一番言いたかった事であり、最後の結論とも言えるでしょう。
尚、原文を読む場合は、現代と重ね合わせない様にして、時代背景を良く考えて読む事をお勧めします。
学問のすすめの原文は、大して量がないので、簡単に読む事は出来るでしょう。
しかし、天才と言われた明治の啓蒙家である福沢諭吉先生が外見について、述べているのは自分の中では驚きでした。
いつの世も外見は大事だと言う事を、指しているのではないかと考えています。
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